こんにちは!
みなさんは日々努力していますか?
私は努力していません。そもそも私の中に努力という文字はありません。
さんまさんが言ってました「世の中から努力という文字をなくしたいんや」と。私も同意見です。
これまたさんまさんの「生きているだけで丸儲けや」というところにつながるんですけど、努力というなら今生きているだけで達成されています。何らかの形で生きているわけですからそうなりますね。
最近話題の「やす子オリンピック」も同じ意味ですよね。
皆さんが使っている「努力」という言葉を何か強引に意味付けするとすれば「自分が楽しいことを無我夢中でやっているとき」ということですね。これはあくまで私の解釈です。それでも努力という言葉は使いません。
以前にも書きましたけど私は高校時代勉強の成績が爆上げしました。その時もちろん勉強をしていたのですが、爆上げの過程について楽しかった記憶しかありません。その時試した創意工夫が今でも物理的思考的に役に立っています。
思い込んだら試練の道を行くが男のど根性♪なんていう暗い感覚ではなかったですね笑。もちろん努力しているなんて感覚もないです。今でも当時のことを努力しましたなんて言いません。
ここから思うに努力という言葉を使うときは誰かと比較しているのだと思います。極論を言えば他責なのかなということですね。
「私は努力しているのに」の「私は」という部分がすべてです。「他の人」「特定の誰か」は努力していないという気持ちの表れということも言えますね。
さんまさんもそれを言いたかったんだと思います。努力という言葉に振り回されて苦しんでいる人たちが大勢いるのにひたすら使い続ける愚かさを。
ちなみに「成長」という言葉も嫌いです。「成長」するとは何をもって「成長」とするのか。まずそこからです。仮の本人の成長がこれだと定義づけられたとしても、本人が置かれている環境によって成長の度合いは大きく変化するものです。変数が多いので一つの方向に促すというのは難しいと思います。
何が言いたいかというと所詮成長は偶然の産物だということです。成長を定義づけるってそんなことはできません笑。自分に置かれた環境の中で気づきがどれだけあるのかということだと思います。それが成長とつながるかといえばそうは言えません、あくまで可能性としてという前提です。
日本の高度経済成長期というのも結局日本から離れた諸外国の戦争など環境が味方したから成り立った話なんです。必然ではなく偶然です。まさにあれが私がイメージする「成長」の代表的な事例です。
あれを必然だと思っている人がいるからそう思っていない人との軋轢ができているわけです。まさに今は過渡期ですね。
さらに言うと「努力」「成長」というのは旧日本軍のマネジメントの名残だと思います。もうそれは無理ゲーです。いい加減わかろうぜって感じです。
私は上記に挙げた2つのワードを出してくる人物についてはかなり警戒します。上記したことを理解できていない人間だということですからね。
皆さんも努力とか成長とかいう偽善な言葉に振り回されないように気を付けてくださいね。
それではまた!

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