これからのYouTubeは厳しいって何さ。

こんにちは!

表題ですね。YouTubeに限らずブログは厳しいだのせどりは厳しいだのこのネガティブワードの連続ホント下衆な人間だよって思います。

厳しいと思うのは欲があるからなんですよね。私はブログに関してはさおだけや方式(表は冴えない金物屋だけど実は他で利益得ているぜみたいな)なので全然厳しいなんて思わないですね。儲けたくてやっているわけでもないし。

私にとってのブログの意味というのはアウトプットなんです。インプットしたことをアウトプットする場所がブログ、それが続ける(もはや続けるという感覚もない)大きな意味となっています。

私が得た気づきをたまたま通りかかった皆さんに読んでもらえることには感謝しています。アクセス数が増えたら嬉しいのは本音ですけどそこは一切目指していません。なのでアフィリもやりません。アドセンスはやらせていただいてますけどそこからの収入も一切期待していません。

周りの人たちは一生懸命書いているねという感覚なのかもしれないですけど、私は一生懸命なんて感覚もないです。毎日の出来事や思いついたことを言語化するためにひたすら書いています。

厳しいと思ったら厳しいし厳しくないと思ったら厳しくないんです。自分がどう思うかにつきますよね。お前のことなど関係なし!ロック様の言うとおりです。

私はせどりを5年前にやめていますが、理由は厳しいではなくてやりきれたからです。実際それ以降は環境も厳しくなっていて、インボイス、Amazonの中国化、メルカリの無秩序化などまともに商売が成り立つ環境ではなくなってきました。

そんな環境でも面白ければ夢中になってやっていたでしょうね。本当に自分がどう思うかですよ。

自分のことを過大評価し過ぎなんですよね。たいしたことないのに。戦わずして勝つ方法を見出さないといつまでも劣等感のループだと思います。

私の場合はブログを書いた時点で「勝ち」なんですよ。アウトプットが目的で、アウトプットできたということですから。勝敗なんてどうでもいいんですけど俗っぽく言えばの話です。

かのイチローも「努力というのは他人の評価でしかなくて、自分はただひたむきにやっているというのが一番強いと思う」と言っています。なので「努力しています」なんて言葉はないんです。自分で評価するものではないんですよ努力って。言い訳に過ぎないんです。

前にも書きましたけど努力という言葉はなくなればいいと書いたのはそこなんです。自分を養護するための言葉だからです。

皆さんも是非ゲームでもなんでもいいので無心で楽しめるものを見つけて楽しく取り組んでください。それが最高ですよ。厳しいって!危機感感じなきゃだめだって!

それではまた!

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